「久実、お客様よ」「誰?」可愛らしい声が聞こえてきた。中に入ると母親が俺に合図をする。俺はうなずいて病室に入った。ベッドの背を上げて、もたれるように座っていた久実ちゃんは、俺を見ると目を見開いた。ベッド周りには俺が雑誌に掲載された切り抜きが飾ってあり、俺のイメージカラーの赤いものが多く置かれていた。二人部屋だが今は一人だけしかいないらしい。「……えぇ、嘘っ……!」人がこんなにも驚く姿をはじめて見た。現実なのか、夢なのか理解できないような表情で、口が半分開いている。「こんにちは。赤坂成人です。手紙ありがとう」「…………」顔がだんだんと赤くなって、俺を見つめる瞳には涙が浮かび上がってきた。えっ、俺……泣かせるようなこと言ったか? 軽くパニックを起こしていると、久実ちゃんは泣きながら手を差し出してきた。「握手してください」「あ……うん」両手で久実ちゃんの手を包み込むように触れると、すごく冷たい。至近距離で見る久実ちゃんは可愛らしい女の子だった。細くて折れてしまいそうな弱々しい体をしている。「わぁ、赤坂さんだ……。信じられないよ。夢みたい」「現実」「お手紙読んでくれたんだね! ありがとうございます!」「いいえ。頑張ってるんだって?」視線を合わせながら会話をする。病気なのに明るさに圧倒された。久実ちゃんの母親は、俺に椅子を出してくれた。腰をかけて久実ちゃんに袋を渡す。「まだ寒いからブランケットなんだけど、使ってくれるか?」「もちろんっ。もらってもいいの?」目がキラキラしている子だ。吸い込まれそうな瞳をしている。「ああ、久実ちゃんのために買ったんだから」「ありがとうございますっ」この子だからこそ、大変な病になったのかもしれないと思った。久実ちゃんだからこそ、乗り越えられる困難なのかもしれない。「見てもいい?」「久実、失礼でしょう」久実ちゃんの母親は叱責した。悲しそうな表情をする。「どうぞ。見てほしいな」俺のキャラクターと少し違うかもしれないが微笑んで言う。恥ずかしそうに久実ちゃんは「ありがとうございます」と言って袋を開けた。中にはチェックのブランケット。ぬいぐるみとかもいいのかなとは思ったのだが、これはこれでいいかなと考えて選んだ。「わぁーかわいい。あったかそう」ブランケットをぎゅっと抱きしめて喜
「こんなに……応援ありがとな」「本当に大好きです。元気になったらライブ行きたいの。いっぱい勉強して大きくなったら働いて、COLORのグッズを集める!」「ああ、よろしくな」「はいっ」久実ちゃんは、ツインテールが揺れるほど大きくうなずいた。「大きくなったら赤坂さんみたいなイケメンで優しい彼氏を作りたい」「あはは、そりゃいい」俺がくすっと笑うと、久実ちゃんも笑った。そして、表情が変わったからどうしたのかなと思って見つめる。「赤坂さん……あの、サイン書いてもらえますか?」「いいよ」「やったぁー!」ノートを出した久実ちゃんから受け取ってサインを書いた。実はあまりサインなんて慣れていなくて……。練習通り書けたと思う。「一生の宝物ね」母親が言って、嬉しそうにしてくれている。写真も一緒に撮ることになり、顔を寄せ合ってピースをした。そしてもう少しだけ、久実ちゃんと話をする。母親もニコニコしながら座っていた。「手術が成功したら元気になる。そうしたら、いっぱい好きなコトしたいの」明るくて凄くいい子だ。十二歳なのにちゃんと人の話を聞くし、理解力もあって頭のいい子だと思った。大樹は大学生もしているが、俺は芸能界の仕事だけをしている。本を読むのはまあ好きだが勉強は嫌いだった。俺は芸能人としてファンサービスができただろうか。久実ちゃんは喜んでくれたようだけど……。腕時計をちらっと見ると昼近くになっていた。あまり長居するのもよくないし、午後から仕事が入っているのでそろそろ帰ることにしよう。別れの言葉を告げようと思ったら、久実ちゃんは悲しそうな顔をした。俺は帰ろうとしていることに気がついたのだろう。「また……会える?」「あ、ああ」そんなふうに言われるなんて想定してなかったから、答えに困ってしまった。最初で最後なんて言える雰囲気ではない。中途半端な激励はよくない気がした。誰かのことを励ますなら最後まで見捨ててはいけない。相手が本当に元気になるまで支えていくべきだと心得た。俺は久実ちゃんが元気になるか……もしくは悪くなるか、最後まで見届けないといけない気がした。そして、俺のファンでいてくれる人のために真剣に仕事をしていこうと誓う。
立ち上がった俺は、久実ちゃんに微笑みかける。久実ちゃんは悲しそうな表情から、無理矢理笑顔を作った。俺に気を使っているようなそんな表情だ。じっと見つめられて困ってしまう。「久実、そんな顔しないの。赤坂さんだって忙しいの。無理なこと言わないのよ」ちょっとキツメに言った。「…………うん」あまりにも悲しそうな顔だったから胸が痛んだ。久実ちゃんはうつむいてしまった。「手術結果がどうなったか、またお母さんに連絡して聞くから」「手術が成功しても、会ってね」「わかった。元気になったら行きたいところ連れて行ってやる」俺はつい約束をしてしまった。久実ちゃんの笑顔が見たかったから。細い指と俺の小指が絡まった。しっかりと、指切りげんまんをした。「また会おう。俺と、久実ちゃんは友達だ。これからは、お互いを応援し合おうぜ」「ありがとう! 私もこれからも全力で応援するね」「じゃあ、またね」笑顔で手を振ってくれた久実ちゃん。俺も軽く手を上げて廊下に出た。母親が玄関まで見送ってくれる。何度も深く頭を下げた。「本当に本当にありがとうございます」「いえいえ、俺は何も……」目に涙を滲ませている。こんなに感謝されるなんて思わなかった。
久実ちゃんとの出会いのあと、俺は付き合っている女、梨紗子の家に行くために電車に乗っていた。病院の消毒の匂いがついている気がして落ち着かない。母親が亡くなった時を無性に思い出していた。席は空いていたがゆっくり座りたい気分になれなくて、手すりに背をつけて窓から流れる景色を見ていた。付き合っていると言っても時間が合うわけじゃないし頻繁には会わない。会いに行くのは何度目だろう。東京と言っても外れにあるから、どんどんと高層ビルは見えなくなっていく。深夜のテレビ収録で出会った。声をかけてきた梨紗子は、そこそこ売れているモデルだ。二つ年上で綺麗な人だけど相手のことはよくわかっていない。付き合ってから二ヶ月。デートらしいデートはしたことないし、メールもたまにしか来なかった。電車を降りて住宅街を歩く。彼女の家に着いたのは十四時。玄関に入ると甘い香水の匂いがした。あいつは、こんな匂いだったかな。「お邪魔します」「どーぞ」俺よりは名の知れている彼女は、綺麗だ。今まで付き合った女の中でもずば抜けている。収録で出会ったその晩、俺と梨紗子はセックスをした。好きとか、嫌いとか、よくわからないけど……付き合っている。今まで好きだと思った人はいない。気持ちよりも体のほうが先に成長してしまった感じだ。ワンルームの彼女の部屋。アクセサリーが整理されていたり、服がいっぱいある。ベッドに座ってまったりしていた俺は、何もすることがなかったから、彼女を押し倒した。「もう、なーにー?」「しよ」「えー。まだ来たばかりじゃん」セーターを着ていた彼女を抱きしめる。服の中に手を滑らせて肌に触れると甘い声を出して応えてくれる。俺だって男だ。綺麗な女がいれば抱きたくなる。俺の背中に手を回して答えてくれる。お互いに気持ちのいいところを探り合って、お互いのことを知っていく。「成人くん……」恋人になる定義とどこまで続く関係かわからないけれど、まあ、いいやって思った。真剣に生きている久実ちゃんには申し訳ないけれど、俺はこういう人間なのだ。
果てた俺らはしばらく眠ってしまい、目を覚ますと夕方だった。体は満たされているが心はなんとなくスッキリしない。体を起こしてベッドから抜けだした。ふっとゴミ箱を見ると男物の服が捨てられている。俺が使用したものではない。不思議と嫉妬心は湧いてこなくて、へぇ……そうなんだ……としか思わなかった。起きてきた彼女はラフな格好をして近づいてきた。ニコッと笑ってから、冷蔵庫をあけてミネラルウォーターを飲んでいる。俺は、俺以外の男と寝てしまう女を軽蔑していた。仮にも付き合っているのだから。俺は彼女がいる時は不特定多数の女と二人きりでは過ごさない。バカバカしいことはするつもりはなかった。気にしないようにしていたけれどやっぱりちょっと引っかかって質問してみる。「あのさ、俺のじゃない男の服が」彼女はさっと表情を変えた。「だから?」「だからって……。俺たち付き合ってんだろ?」強い口調で言うとさっきまでの表情をころりと変えて、人をバカにしたような顔になった。「……ってゆーか、あんたみたいな売れてない男を本気で愛すと思ったの?」俺は遊ばれていたってこと? 豹変ぶりに驚く。芸能界に入るまでもモテていて、告白されてきていた。だから、こいつも俺を好きだと思ってくれていると信じていたのだ。芸能界の女は恐ろしい。「体の相性がよかったしイケメンは嫌いじゃないの」「マジかよ。まあ、いいや。俺は不特定多数の男とする女は無理だから。今までありがと」「ずいぶん、さっぱりね」「お前のことは気に入ってたけど……無理だわ。じゃあ」服に着替えて部屋を出た。春も近いのに、冷たくてなんだか惨めな気持ちになる。空を見上げてため息をついた。「なにやってんだろ、俺……」ちくしょう。絶対に見返してやる。
*今日は、事務所でレッスンをしていた。仕事があまり入ってこないから、こうしてメンバーと鏡に写る自分を見ながら、ダンスレッスンをしているのだ。トレーナーや講師がひっきりなしに教えてくれる。汗が額に滲んで、頭が真っ白になるまでレッスンしながらも、女に遊ばれた怒りを押し殺していた。もう、簡単に恋愛なんてしたくない。「じゃあ休憩」汗を拭いてドリンクを飲んだ。昨日は久実ちゃんの手術日だったはずだ。成功したのだろうか……。廊下へ出て、久実ちゃんの母親に手術の結果がどうだったか電話をした。『わざわざありがとうございます。無事、成功しました。このまま元気になってくれるといいんですけどね』「じゃあもう再発の心配はないんですか?」『……いえ、なんとも』俺は想像していたよりも難しくて複雑な病気なのかもしれない。声のトーンが一気に下がってあまりいい返事をしてくれなかった。「そうなんですか」『このまま元気に過ごせる人もいますし、また手術しなければいけない人もいるんですって。久実の生きる力を信じるしかないですね』久実ちゃんならきっと大丈夫だと俺は信じていた。それから俺は病院に何度も通った。そのたびに久実ちゃんは笑顔で対応してくれて、明るく手術の痛みの話など聞かせてくれた。妹がもう一人増えた感覚で、俺は久実ちゃんを心から可愛いと思っていた。久実ちゃんはみるみるうちに回復して、中学に入る前に退院できた。
*今日は、お祝いを持って自宅まで遊びに行く。夕食をご馳走してくれるらしい。最近免許を取った俺は車で向かっていた。久実ちゃんは都内のマンションに住んでいた。高級住宅街ではない普通の建物だった。玄関の前に立ってチャイムを鳴らすと久実ちゃんが出てきた。満面の笑みを向けている。ツインテールの髪の毛はポニーテールに変わっていて、元気そうだ。「赤坂さん、ようこそ!」「お邪魔します」中に入ると母親がエプロン姿でキッチンから出てきてくれる。「わざわざありがとうございます」「いえ。お邪魔します」父親が近づいてきた。普通のサラリーマンという感じで、話し方も優しくていい人オーラが出ている。久実ちゃんは、一人娘で大事に育ててもらっている印象を受けた。母親は手料理を振る舞ってくれて、父親も何度も感謝の言葉を伝えてくれて温かい家庭だと思う。いつか自分も結婚して久実ちゃんファミリーのような笑顔が耐えない家庭を作りたい。久実ちゃんにプレゼントを手渡した。「赤坂さん、ありがとうございます」「中学に入るんだから、ちゃんと勉強するんだぞ。じゃないと、俺みたいになるぞ」「はーい」笑いが起きる。俺と久実ちゃんは本当の兄と妹のようだった。いい子だし、病と戦っているなんて思えない強さがあって、俺は見習おうと思っていた。彼女のように物事をプラスに捉えることができれば、どんなこともいい方向に行くのではないかと思えた。
自分の心が変わっていくと環境がどんどんよくなっていき、COLORはみるみるうちに売れていった。久実ちゃんが中学二年生になる春から、俺はドラマの主演をすることになった。オーディションを受けて勝ち取った大きな仕事。冬から撮影をしていて、そろそろ放送される予定だ。番組宣伝で忙しく過ごさせてもらっている。しかしそんな中、久実ちゃんの母親からメールが届いた。体調が思わしくなく再び入院することになってしまったのだ。ショックだった。撮影現場で知ってしまいテンションが落ちてしまう。……しかし、仕事を頑張らなければ。ドラマはあともう少しで撮り終える。それまでは撮影が深夜になったりして見舞いに行けないだろう……。俺様役でラブストーリーということもあり、女性ファンが一気に増えた。街でも声をかけられるようになり、違う世界に来たみたいだ。本当は歌って踊りたいところだが、今は与えられたことを一生懸命やる。自分の世界が変わってきた時に、久実ちゃんが入院してしまったのが残念でならなかった。
「俺たちはさ、自分のやりたい道を見つけて、それぞれ進んでいけるかもしれないけど、今まで応援してくれた人たちはどんな気持ちになると思う?」どうしてもそこだけは避けてはいけない道のような気がして、俺は素直に自分の言葉を口にした。光の差してきた事務所にまた重い空気が流れていく。でも大事なことなので言わなければならない。苦しいけれど、ここは乗り越えて行かなければいけない壁なのだ。.「悲しむに決まってるよ。いつも俺たちの衣装を真似して作ってきてくれるファンとか、丁寧にレポートを書いて送ってくれる人とか。そういう人たちに支えられてきたんだよね」黒柳が切なそうな声で言った。でもその声の中には感謝の気持ちも感じられる。デビューしてから今日までの楽しかったことや嬉しかったこと辛かったことや苦しかったことを思い出す。毎日必死で生きてきたのであっという間に時が流れたような気がした。「感謝の気持を込めて……盛大に解散ライブをやるしかないんじゃないか?」赤坂が告げると、そこにいる全員が同じ気持ちになったようだった。部屋の空気が引き締まったように思える。「本当は全国各地回って挨拶をさせてあげたいんだけど、今あなたたちはなるべく早く解散を望んでいるわよね。それなら大きな会場でやるしかない。会場に来れない人たちのためには配信もしてあげるべきね」「そうだね」社長が言うと黒柳は返事してぼんやりと宙に視線を送る。いろんなことを想像している時、彼はこういう表情を浮かべるのだ。「今までの集大成を見せようぜ」「おう」赤坂が言い俺が返事をした。黒柳もうなずいている。「じゃあ……十二月三十一日を持って解散する方向で進んでいきましょう。まずはファンクラブに向けて今月中にメッセージをして、会場を抑えてライブの予告もする。その後にメディアにお知らせをする。おそらくオファーがたくさん来ると思うからなるべくスケジュールを合わせて、今までの感謝の気持ちで出演してきましょう」社長がテキパキと口にするが、きっと彼女の心の中にもいろんな感情が渦巻いているに違いない。育ての親としてたちを見送るような気持ちだろう。それから俺たちは解散ライブに向けてどんなことをするべきか、前向きに話し合いが行われた。
「じゃあ、まず成人」 赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。 「……俺は、作詞作曲……やりたい」 「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」 社長は優しい顔をして聞いていた。 「リュウジは?」 社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。 「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」 「いいじゃないかしら」 最後に全員の視線がこちらを向いた。 「大は?」 みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。 「俳優……かな」 「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」 「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。 「映画監督兼俳優の仕事。しかも、新人の俳優を起用するようで、面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」 社長が質問に答えると、赤坂は感心したように頷く。 「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」 「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」 これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。 ずっと過去から彼女は俺らのことを思ってくれている。 芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。 今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。 でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとするがお腹が大きくなってきているので、動きがゆっくりだ。よいしょ、よいしょと歩いていると、ドアが開く。大くんがドアの前で待機していた私は見てすごくうれしそうにピカピカの笑顔を向けてきた。 そして近づいてきて私のことを抱きしめた。「美羽、ただいま。先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「夕食、食べる?」「あまり食欲ないんだ。作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「あ、あのね……これ」冷蔵庫からケーキを出す。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくてついつい作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。すると中から出てきたのは……「イチゴだ!」「うん!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べる。私と彼はこれから生まれてくる赤ちゃんの話でかなり盛り上がった。その後、ソファーに並んで座り、大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「大きくなってきた」「うん!」「元気に生まれてくるんだぞ」優しい声でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくると
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。 私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたのが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった。 しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。 アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。 覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。 そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。 あまり落ち込まないようにしよう。 大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。 食事は、軽めのものを用意しておいた。 入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。 いつも帰りが遅いので平気。 私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。 これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。 今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。 でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。